足つぼお母さんのつぶやき❢

足つぼのお母さんの闘病日記
発病以来40年。一日たりとてステロイドが抜けたことのない40年
50回以上という入院生活。救急搬送。命の危機・・・ 

最先端医療協会・デトックス臨床研究所の先生をして「驚愕の闘病生活」
尊敬する喘息治療の医師にして「奇跡の闘病者」といわれる日々を振り返り・・・

2013年以降は闘病記に掲載予定。

2013.3月 NO15 "33年目の奇跡"

重症喘息を発症したのが33年前。誘引は化学物質・塗料にあった。
以後33年間ステロイドの抜けた日々が一日も無い状況下なれども、何とか日常生活過ごせるに至る。
発病当時より???の症状が一つ。
喘息患者はしっかり吐けていないから息が吸えない!という節がある中、私は幾らでも吐き切れるのに吸えなかった。
心臓ステント手術以来肺機能検査でも問題は無く、呼吸苦を覚えた事も無かった。
しかし吸気はお腹にまでは入っていかなかった。
本当に色々なことが重なり合い3月4日Soulメイトとの出逢いから、私の呼吸道が通った。
お腹まで空気が入るのが解った。
と同時に3年間痛みに苦しんできた多発性筋痛症の症状が改善、いえ激変した。
強張りが無くなり、酷使しても激痛に見舞われる事が少なくなった。
一つの体験が又施療に活かせれば、こんなに嬉しい事はない。
何より筋肉が使える!歓びに包まれている昨今です。
本当に多くの方々に、感謝・感謝。

2013.1月 NO14 "ヨガ"

ふじ丸の御仕事仲間のヨガの先生ご夫妻が可愛い本を出しました。
「小さなヨガ」と「朝イチのヨガ」これなら出来そう!
私は筋肉の病があり、筋肉にストレッチや負荷をかけると激痛が生ずる。   
なので・・・形のみで力を入れない所から、ベットの上の人でも出来るか否か?
とチャレンジの日々。

2013.1月 NO13 "ムニンヤキ"

今年初の小笠原。
3月と5月にも訪れる予定。
ふじ丸に乗船仕事で訪れるのも何回目であろうか?という事で上陸しても もう観光もせず
街中をブラブラして食事をしてお土産を買いにお店をうろうろ。
昨年は小さなムニンヤキのペンダントを購入。
今年は小鉢を求めました。すこし暗い店内ではよく解らなかった地色が使うほど味が出てとても素敵!
すこし暗い店内ではよく解らなかった地色が使うほど味が出てとても素敵!
次回は何にしようかな?と個展開催を訪れる楽しみが一つ増えてウフフ!

2012.12.20 NO12 "救急車"

秋に一日がかりの関東喘息患者交流会を終えホッとしていた日常生活に一大事。
今まで親族など、ほんの数回人の死に際に縁する事がありましたが、今回は春より御世話になってた
30年来の知人で店舗のオーナーさんが目前で急逝。
逝去するという事・生きるという事を考えさせられる出来事でした。
原因疾病が判明して納得できましたが、救急隊の方共々に何が?起きたのか?という所感でした。
皆さんは救急車を利用した事がありますか?
たった数分の時間が大変長く感じ、隊員の方の姿にどれだけホットできるかしれません。
さて・・・その後落ち着いてお礼に行く人はどれほど居るでしょうか?
皆無に近いという事です。
「当たり前」の制度ですから適正仕様していて、普通は御礼などという考えは浮かびませんね!
私は今回で2回御礼に伺った事になります。
最初は自分が命を左右する心筋梗塞で119番した時の隊長さんの判断に感謝して。
夜間外来に運ばれていたら今は多分無き命。
CCUだったからこそ救われた命の分かれ目は隊長さんの判断に有ったと感謝有るのみです。
其の時私の訴えはCCU内でも聞き入れられず首を傾げられ・・・結局意識を失い急遽手術。
カテーテルをして初めて梗塞が判明。
2本有る片方の血流がしっかり有り、心電図にもエコーにも病変が捉えられなかった。
私の訴えを聞いて考えてくださったのは、救急隊長さんだけでした。
隊長さんの鋭い判断が間違えていなかった事と、救われた感謝の想いを伝えに行きました。
今回は手を尽くして頂いたのですが・・・何故?心臓・脳?と隊員の方々も???だらけだと思い
ましたので死因をお伝えに行った次第です。
私達が最初に頼る救急隊員の方々に、身体の声・経緯を混乱の中でも冷静に伝える事が自身の命を救う事に
大いに役立つ事がたくさんあります。
退院して元気になったら皆さん!!消防署に顔を見せに行きましょうネ!!
お礼の品では全く無く、最前線の「現場の力」の役に立てる、情報・声をお届けしましょう!!

2012.5.18 NO11 "喘息患者交流会"

年に一度石川県金沢市で喘息患者の集いが開催される。
地域医療の模範:城北病院の清水巍先生を中心にした30年以上も続く集いである。
喘息の最新情報ほか「主治医は自分」「喘息よ、ありがとう!」等の指導・教育を継続している交流会です。
喘息を克服する為のHPはhttps://zensoku.in/です。
今回は30年間の闘病・ステロイド離脱の日々・合併症の体験などを発表して参りました。
秋には関東交流会を開催いたします。
喘息でお悩みの方は是非ご参加下さい。
お問合せは上記メール迄!

2012.5.8 NO10 "世界遺産巡り・小笠原&屋久島クルーズ

神戸で300名様を超えるお客様を乗せ大型客船(23,235t)ふじ丸で一路小笠原へむけボンボヤージ。
4/27-5/7の船旅は今迄になく、瀬戸内の海を航海している様で大きな揺れが無く船酔いも無く素晴らしい旅でした。
私てきには、もう少し揺れてくれた方が寝心地が良かったのですが・・・
満室であったため小笠原クルーズは乗組員食堂。此処のお料理が又絶品。
スィートルームにはお金を払えさえすれば何時でも乗れますが、ここの食堂だけは一般客入室禁止区域。
セルフサービス:ビュッフェスタイル。 時間も短くて営業時間を気にしなくて済むありがたい食事です。
小笠原では思いがけずまだ鯨の親子3頭がいて、イルカも見れた大満足の方もいました。
小笠原では半日スコールにあいましたが到着当日は快晴で同行スタッフは素晴らしい小笠原の海を泳げて
大感激していました。
母島観光に参加できなかった方々の為に母島一周の漁船が用意され・・・その漁師さんが、まかない汁と
取れたて魚のお刺身を出して下さった心暖まるお話も有りました。
小笠原では着岸岸壁が無く、地元の漁船のお世話になり通船上陸です。
港を離れる時にはその漁船軍団が見送りについて来てくれるのです!
初乗船の方々には夕暮れ時漁船の灯りが、とても印象的だった事と思います。
屋久島クルーズでは最初の寄港地宿毛では岸壁に何時までも宿毛市民がお見送り!
宿毛は初寄港の時から市を上げての大歓迎で、地元民の心根の純朴さが伝わる数少ない、とっても々素敵な港です。
屋久島でも晴天に恵まれ初乗船のお客様も船酔いする事なく、世界遺産の緑を満喫戴けた事と思います。

2012.3.9 NO9 "皮下気腫"

昨日大腸がんを患った知人に会いました。
がん細胞が大腸を破り激しい痛みで入院。そのときプチンと破れる感触があったとの事。
勿論DRはありえない!と言われたそうですが・・・私が皮下気腫になった時も「アッ破れた!」と言う
感覚でした。膿一色の痰がありました。
以後、左背中の患部を父に押さえて貰いやっと咳が出来る状況。
喘息の重積発作真っ最中で排痰をしなくてはならず、辛い時間でした。
皮下気腫は交通事故の時に起こる事が多いようです。
皮下に空気が入るので押すとパチパチ・プチプチ音がします。
体中に貯まって風船のようになった後はゲップとしてその空気が抜けていきました。
空気が抜けて驚いたのは・・・立てないことです。
人は筋力がないと立つ事が出来ないことを知りました。
上半身の筋肉に力が入らないので何かにつかまらないと立てない!!
退院後暫くはハイハイをして移動していました。
その後も地震を感する他、マイナスの感情・怒り・憎しみ・悲しみ・嘆きなどの感情になると破れた箇所から
ひび割れガラスのように痛みがクモの素状に広がりました。鈍い痛みも伴いました。
迷走という表現があっているかもしれません。迷走神経の言葉など誰が作ったのでしょうか?
人の身体は不思議な物だと言う事を学びました。

2012.3.8 NO8 "地震・地波"

大震災から1年がたとうとしています。
春近しとは言え東北の今はまだまだ寒いですね!
地震・津波で救われた命が、その後の生活環境などで失われた事実に心痛みます。
私は1983年に喘息の重責発作のおり、肺損傷があり全身皮下気腫に襲われました。
呼吸するごとに身体が膨らんでいく! それは肺をも圧迫し呼吸困難状態に・・・
なす術のない身を案じてDR方が病室を見舞ってくれる。
「先は無いな!」と思ったが・・・人の身体は素晴らしい!!
パンパンになった後は・・・ゲップでその空気が排出され命が救われた。
その後胸膜が硬くなったせいだろうか、地震のたびに激しい圧迫感に襲われる。
「あれっ!何だろう。苦しいな!と胸を押さえてしゃがみこむ」
苦しみの後に揺れが来るので予知には使えない(残念!)
忘れてき始めていた感覚が大震災で呼び起され神経過敏になった。
なまずや動物達が地波を感じる生体と同じになった感覚を理解できる人は居るだろうか?

2012.3.8 NO7 "肺炎"

肺のCT検査の診断結果が出ました。
私が見ても解るほど上肺部にモヤモ・・・
白濁でもなく白点でもなく、細かい線が絡み合っているような感じで。
画像をスクロールしていくと此処彼処に・・・
不思議なのは、咳も痰も息切れも発熱も症状が無かった事!
無いから良しとしました。
現状レントゲンで影が無いので少し増やしたステロイド君が鎮めてくれたのでしょう!
感謝です。

2012.3.4 NO6 "足つぼ再開"

NO5 書き込み直後にステロイドを下げた生活に耐えていた体が悲鳴を上げました。
両肩両足の激痛に襲われ始めました。
体幹部で触っていたいと言う痛さではなくたとえようの無い症状でした。
肩も足もチギリ取りたいほどの日々に耐えかね再びステロイド治療に入りました。
敗北感と自責の念にも囚われ、この頃は殆どウツ状態。
今まで一度も経験した事の無い不眠!入眠出来ない!
不眠症がこれほど辛いものとは知りませんでした。
今まで母や患者さんに昼間眠気が来たら休めばいいじゃない。
何処かで寝ているから大丈夫よ!とか・・・。
お休みしていた3年間に色々経験しました。
現在副腎機能が弱い為、ステロイドの少量服用をして日常生活を取り戻しました。
多くの方々のおかげです。感謝です。
還暦を迎えた、この生まれ年より再び足の現場に復帰しましたので、宜しく!

2009.2.24NO5    "足つぼと卵巣脳腫"

左の卵巣脳腫を2回経験しました
2回とも足つぼの反射区が異常に痛くて診察に行きました
勿論Drはそんな事を言っても信じませんし、逆に相手にしてもらえませんので私は前述
の如く自分がして頂きたい検査に進むべき訴えを致します。
内診とエコ―
卵巣の腫れが2回とも認められました
私は子宮全摘の手術時に右の卵巣も癒着で摘出していますので、加えて左のトラブルは
更年期障害の懸念があっての受診でした
特に辛い症状は足以外にはありませんでした
足と言うものは長い間関わっている中、本人の自覚症状以前に症状が反映されることを
多く体験していましたので確認の為の受診でもありました結果は当然初期の腫れで様子観察
そこからは足つぼです
日々人には施術していましたが、せっせと自分の足を揉みました
次の検診の時には・・・消失・・・勿論足の痛みも無くなっていました
先生は水腫だったのでしょう!と・・・という事は循環を良くしたりして何しろ直せた訳です
2回目の時は足が痛くなくなった時点で再診はしませんでした

2009.2.22 NO4 "足つぼと尿管結石"
足つぼが何千年もの間、途絶えることなく伝承されてきた事でその効果はうかがい知れます
自分で揉み解す事よりやはり、揉んでもらった方がはるかに気持ちはいいです!
自分での施術は足を折らなくてはならないので伝わり方が弱いのかも知れません
同業の足つぼ師の方で、ご主人の腎結石を砕いた方がいます!
驚きですが、4つに砕けた証拠レントゲンで確認できたそうです
身体の病気は足に反映されますが、その時の反射区の痛さは通常ではありません
イスなら座っていられない、のけぞり両手が突っ張り大きな力が入ります
自分では加減してしまうので、治療となると人の手のほうが効果は有るカナと・・・
私自信は尿管結石を4回経験
そのうち2回は足つぼで排出・・・ただ場所を探し込むのに色々な先生の施しを受け
やっと場所の特定ができました
でも何しろそれはそれは「もの凄く痛~い!!」のは事実
あとの2回は結石が大きく、尿管に詰まり破砕手術
1回はアナフィラキシー付・・・心停止の2日後内視レーザー手術にて粉砕
もう1回は炎症反応crpと言うのがあるのですが「38」(通常は0で40を超えると残念な
結果が多いとか)で尿管閉塞の為に細菌が全身に回った状態だったと思われます
その日の午前中は血液や心電図・レントゲンと入院準備の検査を済ませ入院予約を済ませて帰宅
勿論痛みはある訳で・・・しかしながらベットが空いていない!
帰宅後からどんどん熱が出始め、40度!
夜中になるとDrに迷惑をかけるので夕刻に時間外受診
@6万の病室に緊急入院・・・命に関わるという事で即手術・・・夜中にも関わらず・・・
救急の時の対応ほど親身に感じ入ります
我慢して夜中に受診して手当が遅れていたら、やはり無き命であったかもしれません
午前中に受診予約をしているので普段でしたら我慢をしがちなところですが、身体が
悲鳴をあげていましたので、身体の声を信じて再診しました
上手な医者のかかり方!と言うのはテクニックではなく身体の声に応じてあるのではないかと思います
多くの患者さん相手の診察で、全てを見取る事は安易な事ではありません私達は上手に病状を伝えて
いかなくてはなりません
何度も自分がして頂きたい治療に進むべく、訴えをし続けた事もあります医師・患者の両者で共に
歩むところに改善への道が開けてくるのかと思っています
命を救うべき真夜中の手術に臨んで下さった先生方に感謝あるのみです。

2009.2.19 NO3 "アナフィラキシーⅠ"

 H7の夏、私はアナフィラキシーで心停止に陥りました
アレルギーショックの最大級の症状です
ここでは、蜂とか食物ではない薬のアレルギーについての体験です
薬は抗生剤の点滴
闘病生活も15年目になり、身を護る色々な対処の仕方を身につけていました
しかし、その時の事を話せるようになるには多くの時間を要しました一種のPTSDかも知れません
その日私は尿管結石の手術待ちで、痛み止めや抗生剤の入院治療を受けていました
前日の点滴で全身薬疹を出していた私に「今日は薬を変えましたからネ!」と・・・
点滴薬が身体に入るや否や私は???
すぐナースコール!婦長さんが飛び込んできました
「どうしたの?」点滴をして数分も経過していませんが私は上手に話す事もままなりませんでした
回らないろれつで「体が動かない!足先から固まってきている感じ!」とだけ症状を伝えられました
長いお付き合いの婦長さんは事態を察知もしもの時の為に点滴を一番遅くして階下のDrの下へ・・・
「点滴を止めて!」と叫びたかったのですが・・・押し問答する時間を避けたかったので
あえてそれを言わず、婦長さんが部屋を出た途端自分で点滴を止め・・・
そこで意識が幕を下ろされたようにバタンと途切れたのでした
いま、思い出しつつ記していても手が震えてきます
その後も点滴には異常に恐怖を感じますし、細心の注意を払っています
このテーマを選んだのは闘病には"主治医は自分"と言う大事な一面が有る事
直感・機転・知識・・・などが命を救う事があるという事をアレルギーを持つ人に伝えられたらと思ったからです
事実Drが3階の私の元に来るまでの数分の間でも薬が入り続けていたなら・・・
今の私の命はなかったと思います
又、大きな病院でDr到着に時間がかかっていたら・・・幸いすぐの手当で助かりました
心臓が動き始め意識が戻った時、私はDrに向かって「先生胸が痛い!」と・・・
先生は「肋骨の2・3本折れているかも知れんな!」と笑っていました
隣には大学病院から派遣された若いDrが目を丸くして立ち尽くしていました
どれほど心臓マッサージをしていただいていたのか・・・感謝あるのみでした
長年付添いをしている方が私が救命室に運ばれる足をみて「真っ黒だった!」
「駄目だろう!」と言われたのを聴き、薬が毒に変じた時の恐ろしさを感じました 
護られた大きな力に感謝あるのみです。

2009.2.8 NO2 "足つぼとの出逢い"

私は発病当初、殆どの日を入院・自宅にいても寝たきりの生活を送っていました
そんな有る日、私の住む町に足つぼ治療院が出来ました
リマイスター主催の安部兄弟と足つぼチャートを製作もした高田氏が運営する店でした
それ以前に塩原温泉郷で足つぼの治療を受けた事があり、その効果の確かさは経験済みでしたから、はまりました
寝たきりの生活から徐々に解放され、病人でありながらも人並み以上の生活が送れる幸いに恵まれ、
途中から患者から診る方へと変わりました
闘病生活30年。足つぼ生活も振り返れば20年を経過
今のように足つぼが流行ではない頃からの足へのアプローチは、振り返ると大きな
大きな財産になってくれていました
心臓の手術も受け、体調も良好になりつつありこれからも、この足つぼと闘病で得た経験を活かして
仕事が出来たらと思っています
巡り逢いに感謝です。

2009.2.6 NO1   "まあるいおはぎ"

トコトコ・トコトコ・・・ウォーキングとは言えないお散歩
私の体力なりの歩・歩・歩
私のハートは、の~んびり歩いても、すぐ160up/分の脈になる
そう、私は闘病中 ^^);
散歩の途中・・・
PATATA(パタータ)というお惣菜やさんの「まあるいおはぎ」
出逢った途端 可愛い!!と思いました 
少~しウツ気味の心に、そよ風が吹き抜けた感じでホッとしました
肩の力がスーッと抜けた感じでした
本当に素直な感情でした!
つぶやきコーナーを再開したいと思ってはいても、書き出すきっかけが見つからず
いたずらに時を過ごしていました
「まあるいおはぎ」に出逢え・・・それだけを伝えれば良いんだ!と書き始めます
今日まで、見守り・励まし続けてくれた 皆さん! お待たせしました
病の戦さ人の"つぶやき" 開始しま~す
「まあるいおはぎ」皆さんは見た事ありますか?
ほんとに、ほんとに まんまるなんですヨ!
ホッと肩の力が抜けて、ただただ 可愛い~!! ・・・勿論美味しかった
中野区江古田氷川神社の側にあります
丸・・・不思議な力を持つ形に思えました・・・巡り逢いに感謝です。


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珪Harmony Leg TherapySalon(只今休診中) 東京都豊島区長崎4-36-6 090-4528-3544 ashikei@i-mail.jp